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復員輸送  (詳細は多岐にわたるので、管理者の場合を例示す)
 
 復員輸送については紙面の関係で割愛せざるを得ないが、いずれにしても、水上艦艇に配乗していた者は充員召集で、または自らの志願で参加した期友も多い。
 海軍は昭和20年11月30日解散し、第二復員省、復員庁に格下げされ、身分も第二復員官、第二復員事務官、復員事務官と変り、軍艦は特別輸送艦と名称を変更された。

  いわゆる復員船は、残存航空母艦、巡洋艦、駆逐艦、海防艦等及び一般商船が復員業務に貢献した。兵装を撤去、船体舷側に日の丸を付け、後部に仮説の厠などを作り一人でも多く収容できるようにした。
 
 参加した者の多くは海軍の敗戦の贖罪と感じて、広大な大陸、広い太平洋に散在していた軍人、軍属、同胞を敗戦で焦土と化した祖国に帰還させたことは永久に語り継がれることであろう。

 写真は、復員艦「桐」の士官室の皆さん。尾道の造船所で武装を撤去し、
士官の階級章を外した哀れな姿である。お世話になった尾道市久保町の宮野堅一医院宅にて(昭和21年1月25日撮影)。


 ・前列左から
  航海長
中村元一(72期)、水雷長佐藤清夫(71期)、 艦長川畑誠(62期)  旧機関長石村さん(機・50期)、掌機長(大沢少尉)

 ・2列目左から
  機械長(少尉)、先任将校砲術長
竹内芳夫(69期)、機関長福島利一(少佐)  軍医長(渋谷軍医中尉)

 ・後列左から
  電機長宗像喜夫(機曹長)、缶長(機曹長) 中村甲板士官(兵曹長),
上村民夫通信士(73期)
  
八木豊主計長(経・34期)、平井禮雄機関長付(機・55期) 渋谷航海士(生徒)