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砲術学校、水雷学校等での特技・専科の修得者


1、海軍砲術学校第101期普通科学生 (18年6月1日発令、18年9月15日卒業)


 前出した大型艦乗組の期友の中から、次の16名が任官により砲術学校の普通科砲術学生となり専門職「鉄砲や」への道に進み、卒業により10名が駆逐艦の砲術長(先任将校兼務)、6名が大型艦の砲術関係の配置についた。
 (備考) 「▲」印は戦死、「★」印は特攻戦死、「△」印は乗艦の沈没で生還を示し、「▲」印の後に続く数字(例えば207)はクラスとして207番目の戦死者(下記の松崎弘栄)を示し『同期の桜海兵第七十一期』の頁386のヘダー(上部の余白)に示してあるので、詳細にその戦没状況を知りたい方はシリーズ本分を読まれたい。
期友氏名 入校前の
配属
配乗の艦 学生卒業後の戦陣 備 考
飯田貞行 阿武隈 旧式駆逐艦 早苗砲術長 ▲024 ・ローカル船団護衛中
香月武彦 沼風砲術長 ▲025
近藤三嗣 香取 若竹砲術長 ▲042 ・パラオ島で被爆沈没
松崎弘栄 大鷹 八丈砲術長
楓砲術長 ▲207
・バシー海峡で航空機の機銃掃射で被弾戦死
大友 有 瑞鳳 汐風砲術長
萩砲術長
・ローカル船団護衛
梶岡節夫 球磨 呉竹砲術長
橘砲術長
春月砲術長
・ローカル船団護衛中
・終戦時砲校教官
北島克己 妙高 栂砲術長 △
杉砲術長
 
松本兵吾 長良 芙蓉水雷長 △
文月砲術長 △
朝凪砲術長 △
杉砲術長(臨時)
戦艦伊勢
・ローカル船団護衛中3回沈 没するも生還
・終戦時 兵校教官
広崎亮二 鈴谷 刈萱砲術長 △
杉砲術長(重傷)
・ローカル船団護衛中
・功績調査部
所 善治 利根 大型艦 川内 ▲013 ・ソロモン海域
・着任の直後
奥西平治 妙高 愛宕 ▲126 ・レイテ沖進出時
木下武雄 利根 鳥海 ▲140 ・レイテ島沖海戦
田辺雅孝 熊野 鳥海 ▲142
臼淵 磐 鈴谷 大和 ▲263 ・沖縄海上特攻
・吉田満著「戦艦大和」の主人公
中嶋昭夫 竜鳳 妙高 ・レイテ沖海戦に参加後
・昭南で被爆・大破
川添 透 鳥海 筑摩・響 ・兵校教官

2、海軍水雷学校での水雷長講習(約1ヵ月間)

 適宜発令されたので詳細不明であるが、高等科水雷術学生として発令された丁型駆逐艦(雑木林型)の艦長予定者と共に教育されたが、正式な発令はなかった。指導官は中村中佐(名前を失念し失礼しました)

池田 浩 風雲(△) 樫水雷長に 19・7・30日から
桑村豊吉 樅水雷長で ▲205 19・8・1日から
福本淳司 大鳳 桃水雷長で ▲196 詳細不明
浅子義信 アンダーマン
長門・沢風
椿水雷長に 19年11月中旬から
佐藤清夫 大和・野分 桐水雷長に


 このころの戦況を追記し、如何に最前戦の艦艇からの着任は大変なことであったことを述べておく必要がある。戦局はフィリピン沖海戦前後である。

 @管理者
佐藤清夫)は比島沖海戦直前にリンガ泊地で退艦、約1か月かけて着任した。田浦水雷学校で受講中の12月11日に、サイパ ンから初めての帝都偵察飛行があり、学校の校庭から超高空を飛翔する実に美しい銀色の機体が飛行 雲を引いていくB29機編隊 を見てビックリした。このような時期でも、前線から引き上げて教育した。このとき厚木 の基地302空の寺村純郎、入江静則たち が迎撃した。その後、入江は、筆者はもちろん知る由もなかったが、不幸にも交戦によらざる戦死を遂げたことを寺村が『東京空 戦記』(昭和37年の発売で述べている。
 A
寺部甲子男の場合は、19年5月頃、若葉乗組中に横鎮付(水雷長講習予定)の発令があったが、同艦がオーック海で 流氷に閉ざ されて着任が遅れたため入校が取りやめとなり、無章水雷長として、若葉にトンボ帰りしたという。其の着任には多くの困難があ ったことをのべたかった。それでも教育、講習を当局は重視した。

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