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第3 駆逐艦での戦陣

1、数次に亘る軍備拡張計画で建造された駆逐艦

 大正後期からの数次にわたる海軍軍備計画により建造されて開戦時の作戦に参加できた駆逐艦は93隻,戦中に建造された艦が64隻。戦争で喪失したのは保有174隻の内の実に134隻の多きに達した。  
 終戦時に、かつての栄光の水雷戦隊当時の戦力を保持していたのは「雪風」だけであった。その他に、戦時急増の松型駆逐艦で新造まもなくフィリピン沖海戦以後の作戦に間にあった。
 これらの艦に配乗の先輩諸氏、71期と72期、乗艦直後であった73期達が如何に活躍し、苦労し、多くの犠牲を出した。戦死した者達は共に戦った我々をかりてその無念さを語りかけてもらいたいと念じているであろうと、生き残り体験者は考えている。

2、太平洋戦争での駆逐艦作戦(まとめ)

 あの太平洋戦争で沈没した艦種のなかで1番多かったのは駆逐艦で上述のとおり134隻であった。駆逐艦に次いで潜水艦も127隻があったが軍令部などの用法の誤りにより戦果を挙げることなく、米艦隊の対潜戦術の進歩により其の多くは犠牲となり、終戦末期には孤島に取り残された部隊に対する物資輸送に使用された。そして回天作戦にも使用されたが犠牲も多かった。決戦潜水艦として開発された波号潜水艦も戦争には間に合わなかった。 
 駆逐艦の護衛がなければ行動ができなかった艦首に菊のご紋章をいただいた戦艦は11隻、航空母艦は21、そして巡洋艦は41隻であったが、さしたる戦果もあげず、平成17年11月号の文芸春秋に
半藤一利氏(戦史研究家)「海軍で一番戦ったのは駆逐艦乗りであった。戦艦大和は最後にちょっと出撃したが、駆逐艦は開戦からずっと戦っています」と座談会で述べている。

 ここに挙げる艦種に限っても多大な犠牲であり、他の小艦艇、航空機及び陸上の諸部隊、機関については触れないが戦争に負けた。しかし、多くの犠牲を出したその原因をここで詮索するつもりはない。

 防衛研究所発刊の公刊戦史叢書のどこの編成表を見ても戦艦は何々、空母は何々、巡洋艦は何々とその艦名が挙げられるが、駆逐艦は多くの場合、駆逐艦×隻となっている。駆逐艦の艦首には「菊のご紋章」がなく、4隻の駆逐艦が戦闘単位(駆逐隊と呼称された)で軍艦1隻として扱われ、駆逐艦の艦長は「艦長」でなく「駆逐艦長」であった。
 犠牲となった駆逐艦にはそれぞれの生い立ちがあり、戦歴、乗員の哀歓があった。華々しい最期、人知れず沈んだものなど様々であり、顕彰された艦もあったが、その隻数が多かったので名前さえ覚えられていない。今なお太平洋に沈没したまま未来永劫に亘り引き揚げられることの無い134隻の駆逐艦とその水漬くかばね乗員に鎮魂の言葉を捧げたい。

 我々71期の戦陣は3年に満たない間であったが、広大な海域で敗戦の色濃い次の諸作戦、戦闘に参戦、活躍したが多くの犠牲を出した。

 @ 敗戦濃厚となった時期でのガダルカナル島からの守備隊の撤退作戦に初陣
 A アッツ島沖海戦、キスカ撤収作戦、トラック大空襲
 B 渾作戦(3次に亘る)、サイパン沖海戦(あ号作戦)
 C 比島沖海戦(捷号作戦)
 D レイテ島への9次に亘る陸軍の増援部隊輸送の「多号作戦」
 E ルソン島に進出してきた米船団輸送部隊を迎え撃った「礼号作戦」
 F 必殺を期したが無謀の「大和海上特攻作戦」
 G そして海上輸送路の物資輸送のローカル船団護衛等

 開戦の初めから各種海戦に参加して「フィリピン沖海戦」で活躍、生還した第17駆逐隊の「雪風」と「磯風」そして第27駆逐隊の「時雨」のその後については、「雪風」は大和海上特攻でも生き残った不死身艦、「磯風」は同じくこの作戦で無念にも僚艦「雪風」の砲撃で処分されて最期を遂げ、「時雨」は南方からの重要物資輸送に当てられていてシンガポール沖で撃沈された。これら3艦には「雪風」に田口康生、「磯風」に伊藤茂、そして「時雨」に芹野冨雄が夫々配乗になっていたことは特筆すべきことあった。

 駆逐艦は思うが侭に操艦できる手頃な艦であり、編者は「野分(ノワキ)」と戦時急増型の「桐」に配乗し、その誕生から最期までの戦歴を顕彰するため『駆逐艦野分鎮魂の譜』を執筆してご遺族だけに限定して進呈し、ついで、超過酷な駆逐艦での勤務で、どの艦も懸命に任務遂行に当たっている姿を知るにつけ、全駆逐艦の航跡を記録するだけの能力と資料が無いので、編者の乗艦「野分」をかりて執筆、光人社から
『駆逐艦野分物語』として全国で発売された。
 
 駆逐艦での戦記は少ない。これに反し、終戦直後から今日まで戦艦や空母などを誇らしげに誇張した戦記、戦闘記録が多いのは、戦時中報道班員は大型艦に乗ることが多かったことと、言い訳と能筆が得意なエリート幹部達が前線に出ることなく生き残ったこととによるものである。前線で活躍した車曳き達が犠牲になり、偽らざる本当の戦闘、作戦記を残しえなかったことは残念なことである。
 最近刊行された「男たちの大和/YAMATO」(辺見じゅん氏著)の映画化がなされ、之を観る若者たちは「大和」だけが戦闘をしたと思うのではないかと懼れる。また、終戦直後伊藤正徳氏が書いている「大東亜戦争は大和で始まり、大和で終わった」に改めて大きな憤りを表明したい。

・南十字星、流星、南瞑の空の夜景、値千金。次の作戦のために生命を大切にしよう
・戦場は古今東西を問わず無常なり、海上に救助を待つもの有るに次期作戦のためには、止むを得なく見捨ててゆく、戦の常、戦場に在りては 生命のある元気な者のみが尊重される。 
  ということを言ったのは中野義弘氏。
 管理人も実戦を通じ痛切に味わった体験であり、戦争体験者すべての人の琴線を打つ、重みのある、誠に悲しい表現であるが、現実はこれに近かった。 

   (兵71期駆逐幹部会編集『遥かなる回帰の海』より)

71期在校中の1年間の駆逐艦喪失(わずか24隻)
 開戦からミッドウエー海戦まで 疾風、如月、東雲、狭霧、夏潮、菊月、山風、子ノ日、霰、朧
 ガダルカナル島への輸送作戦 朝霧、睦月、弥生、吹雪、叢雲、夏雲
 ガダルカナル島総攻撃の関連作戦 暁、夕立、綾波、高波、照月
 ニューブリテン島海域での作戦 早潮、羽風
 東京湾外にて 沖風

3、71期車曳きの参戦

 潜水艦乗りを「ドンガメ」と呼んだように、艦乗艦者は自らを「車曳き」と呼んだ。
 
 駆逐艦に乗艦した期友は終戦までに延べ 113名。途中から潜水艦、飛行機等に転科したものも多く、駆逐艦で戦死したのは32名、終戦時に配乗していたのは21名であった。

 この頃の駆逐艦は、既に海軍華やかな時代の水雷戦隊のメンバーではなくなり、ただ敵航空兵力の前には無力となった空母、戦艦等の作戦での直衛として、また物資、人員等を移動する海上交通線の船団等の護衛として東奔西走した。
 そして、戦争が済んで外地からの軍人、一般邦人の引き上げ、復員に活躍し、76年間の海軍の歴史の尻拭いを立派に果たした、連合軍にひきわたされた。



(1) 柱島艦隊泊地での前期実務実習終了で
駆逐隊付候補生として駆逐隊で初陣(42名)・前出 

 駆逐隊付として42名が初陣。その赴任はおおむね大型艦に同じであった。この頃の駆逐艦は、既に海軍華やかな時代の水雷戦隊のメンバーではなくなり、ただ敵航空兵力の前には無力となった空母、戦艦等の作戦での直衛として、また物資、人員等を移動する海上交通線の船団等の護衛として東奔西走した。
 
 兵71期駆逐幹部会発行の
『遥かなる回帰の海』次の期友がその奮戦・敗戦記を詳述しているので、「更新」の章で漸次掲載したい。
「ガ」島撤退作戦参加事後、同海域の攻防戦に初陣 戸田専一工藤淳一、立山 喬、伊藤 茂
「ガ」島海域の攻防戦に初陣 岩越朴雄
アッツ沖海戦に初陣 上村典次、(機)志賀斉
ローカル船団の護衛に初陣 久保 猛、斉藤孝雄、渡辺清規



(2) ガ島撤退以後から終戦までの間、駆逐艦で参戦した期友の戦陣

山本五十六連合艦隊の時代

ガ島からの守備隊撤退作戦 18・ 2・ 1 巻雲(被雷、処分)
この撤退作戦に直接参加の期友
 園田と大河と
戸田(舞風)、遠藤(松風)、宮ノ原(文月)
 浅田(朝潮)、久戸(朝雲)、平田(巻雲)、吉本(風雲)
 立山(夕雲)、野元(白雪)、岩越(親潮)、細見(陽炎)
 
工藤(江風)、山口(初風)、松見(谷風)、斉藤高房(雪風)
 堂園(時津風)、
伊藤(浦風)、清水郁(浜風) 
支援部隊の護衛として参加の期友
 立入と大曲と
前田孝正(敷波)、戸倉(海風)、蔭山(夕暮)
 
金丸と帖佐(時雨)、清宮(長波)、渡辺清(清波)
ラエへの陸軍兵力増強   大潮(沈没)<マヌス島近海>
ダンピールの悲劇
 <輸送船8隻全滅>
18・3・3 白雪(沈没・ 野元祐一△)
朝潮(沈没・ 浅田実▲001戦死 <71期として初めての犠牲>)
時津風(沈没・堂園利徳△)
参戦 
 斉藤高(雪風)、久戸(朝雲)、立入と大曲と
前田正孝(敷波)
コロンバンガラ輸送 18・3・5 村雨(沈没・木村三郎▲002 戦死、小西哲夫△)
峯雲(沈没)
アッツ島沖海戦 18・3・27 参戦 上村典次(電)、小林仟人(雷)、石川二助(若葉)
キスカ島撤退作戦   参戦 立山 喬(夕雲)、(機)志賀(長波)

古賀峯一連合艦隊の時代  (4月18日に山本長官が戦死)

ブラケット水道で蝕雷 18・5・7 黒潮(沈没)
親潮(沈没・
岩越朴雄△)
陽炎(沈没・細見弘明△)
ラバウル大空襲
<進出2艦隊大損傷>
18・11・11 涼波
 任海軍少尉(18・6・1)
クラ湾夜戦 18・7・6 長月(座礁・被爆)、新月(沈没)
ブイン島輸送中  ・7・7 初雪(沈没・野元祐一△)
コ島沖夜戦
  <旗艦神通・沈没>
 ・7・12   清波(沈没)
参戦 斉藤高(雪風)
ベラ・ラベラ沖で  ・7・20 夕暮(沈没)
ツルブ輸送
  <日進・沈没>)
 ・7・22 有明(座礁、放棄)
三日月(沈没)
ベラ湾夜戦で  ・8・8 江風(沈没)、嵐 (沈没・園田義喜▲011)、萩風(沈没)
参戦 帖佐と
金丸(時雨)
・学徒出陣式挙行(18・10・2)
ベラ・ラベラ沖夜戦 18・10・6 夕雲(沈没・<経>坂本甚助▲)
参戦 帖佐と
金丸(時雨)
ブーゲンビル沖夜戦
 <旗艦川内・沈没>
 ・11・2 初風(沈没・山口静夫▲015)
参戦 帖佐(時雨・3回目)
セントジョージ岬沖
       海戦
 ・11・24 大波(沈没・<機>外薗忠信▲)、夕霧(沈没)
巻波(沈没 艦長人見豊治・元教官▲)
ローカルの船団護衛 18・4・9〜 磯波(沈没)、五月雨(沈没)、望月(沈没)
涼月(大破・井上洸▲026、友成通泰▲027
 <機>宮田惇▲<ウエーキ島輸送>)
芙蓉(沈没・
松本兵吾△<マニラ湾外>)
トラック基地から連合艦隊の撤退、基地放棄
トラック大空襲
   <那珂・沈没>
19・2・17 太刀風(沈没)、文月(没没・松本兵吾△ 、原田盛之△)
舞風(沈没・<経>大江原利勝▲)
松風(被爆・亀山二郎▲032)
香取(沈没・ 田中常之▲029)
阿賀野(沈没)
追風(沈没 艦長・魚野泰弘元教官▲)
脱出
  佐藤清夫(野分)、橋本一郎(春雨)、帖佐と芹野(時雨)
 任海軍中尉(19・3・15)
艦隊がパラオに撤退中 19・3・30 若竹(沈没・ 近藤三嗣▲042)

 豊田副武連合艦隊の時代   (古賀長官が南比島ダバオに移動中に行方不明、殉職)
船団護衛 18・11・1から 早苗(沈没・飯田貞行▲024<セレベス海で>)
沼風(沈没・香月武彦▲025<沖縄島南方>)
涼風(沈没・ 市川 毅▲028<ブラウン島>)
雷 (沈没・小林仟人▲043、便乗の松本宏▲044<メレヨン島輸送>)
あ号作戦の前後 19・7・9まで 刈萱(沈没・広崎亮二△<ルソン島沖>)
朝凪
(沈没・松本兵吾△<ルソン島西方>)
秋雲(沈没・
立山 喬△<ミンダナオ島南東>)
漣 (沈没・ <パラオ諸島東方>)
海風(沈没・<カロリン諸島海域>)
峯風(沈没・<台湾沖>)
天霧(沈没・<マカッサル近海>)
白雲(沈没・<襟裳岬近海>)
電 (沈没・<経>葛山順久▲ <セレベス海>)
水無月(沈没・藤井宗正▲049<セレベス海付近>)
松風(沈没・<父島沖>)
帆風(沈没・中村邦治▲091 <オホーツク海>)
玉波(沈没・河野千俊▲089、(機)黒川照平▲<マニラ湾外>)
朝風(沈没・川瀬 勤▲090<マニラ湾西方>)
松 (沈没・<父島東方>)
マリアナ沖海戦 (あ号作戦)
 
 <沈没艦>
 大鳳、翔鶴、飛鷹
19・6・19  から 春雨(沈没・橋本一郎△<経>平田龍臣▲<)ビアク島西方>)
早波(沈没
・山垣純一郎△、<経>金子俊彦▲<タウイタウイ島近海>)
風雲(沈没・
池田 浩△<ダバオ湾外>)
白露(沈没・
石丸文義△<洋上補給中接触沈没>)
谷風(沈没・<タウイタウイ島近海>)
比島攻防作戦 (捷号作戦)
1、サマール島沖海戦
  (栗田本隊)
  <沈没艦>
 旗艦愛宕、摩耶
 武蔵
 筑摩、鈴谷、
 鳥海 
19・10・25から 野分(行方不明・筑摩救助活動中)<編者佐藤清夫直前転勤>
浦波(沈没・川畑努▲152 <ミンドロ島付近>)
早霜(沈没・<ビサヤン海>)
参戦
 伊藤 茂
(磯風)、田口康生(雪風)、芦田 収(朝霜)、原田実(秋霜)、谷山正典(岸波)、原田盛之(島風)
2、スリガオ海峡突入
(西村支隊)
  <沈没艦>
 扶桑、山城、最上
満潮(沈没・渡辺譲▲137)、山雲(沈没・渡辺朋彦▲136)
朝雲(沈没)
芹野(時雨が生還<この突入唯一隻の生き残り>)
3、エンガノ岬沖海戦
  (小沢本隊)
  <沈没艦>
 千代田、千歳 
 多摩(行方不明)
初月(沈没)、秋月(沈没)
参戦 
 三木稠久(秋風)、河崎と立入(霜月)、小平清人(桑)
 石川杳平(若月)、三谷と篠原健(桐)、
広崎堀端(杉)
4、スリガオ海峡突入断念
  (志摩部隊)
  若葉(沈没・寺部甲子男△<パネイ島西方>)
参戦 森谷(初春)と中島正俊(不知火)
船団護衛
   <金剛・沈没>
  夕凪(沈没・<ルソン島北方>)
敷波(沈没・<海南島東方>)
浦風(沈没・<大和残存艦隊の護衛>)
参戦 伊藤 茂(磯風)と田口康生(雪風)
  <海戦後内地に帰る大和、榛名、金剛護衛>
多号輸送作戦
(レイテ島部隊増援)
第1次 不知火(沈没・中島正俊▲153<パネイ島沖、鬼怒救助中>)
第2次
19・10・31
参戦 伊吹(霞)、森谷(初春)
第4次
19・11・8
(成功)
秋霜(大破・原田 実、<経>峰村秀道▲)
参戦 
 伊吹(霞)、
芦田(朝霜)、石川杳(若月)、(機)志賀齊(長波)
第3次
19・11・9
長波(沈没・<機>志賀 齊△)
若月(沈没・石川杳平▲167、<機>沢田俊郎▲)
島風(沈没・原田盛之△)、浜波(沈没)
参戦 森谷(初春)
第5次 輸送艦沈没で荷揚げ機能全滅し作戦を断念
第6次 (経)井田龍男(九号輸送艦)が参加・失敗
第7次 桑(沈没・小平清人▲190)、竹<敵駆逐艦を魚雷で撃沈>
参戦 
(経)井田龍男(九号輸送艦) 
 任海軍大尉(19・12・1)
多号輸送作戦(続 (つづき) 第8次
 9・12・5
参戦
 杉
(広崎<戦傷>と堀端)と(経)西山、北島克己(杉)
 梅 
(経)梶間、福本(桃)
第9次
19・12・9
(最終回)
卯月
夕月(被弾のため桐が砲撃処分)西村幸雄△、水谷弘康△
 <桐に救助後マニラに残されて戦死>
参戦
 佐藤清夫と篠原(桐)、(経)井田龍男(九号輸)
マニラ湾在泊中被爆
  <沈没艦 那智、木曾>
 19・9・2から 沖波(沈没)

敵上陸部隊がスルー海に出現
礼号作戦  (輸送船に殴り込み) 19・12・15 ・清霜(沈没)
・参戦<「遥かなる回帰の海」参照>
 
与田と経・梶間(榧)、伊吹(霞)、芦田(朝霜)、池田堀江(樫)
 
堀端松本兵吾と(経)西山(杉)   
北部ルソン島からの
  航空要員撤退作戦
  ・梅(沈没)
・参戦 楓(大破 砲術長松崎弘榮被弾戦死▲207)
 
 橋本一郎(汐風)
潜水艦・航空機攻撃は益々熾烈    ・桧(沈没)
・樅(沈没・桑村豊吉▲205と鈴木正彦▲206<ルソン島近海>)
・秋風(沈没・三木稠久▲159<佐世保から進出の途中、南支那海>)
・霜月(沈没・河崎秀章▲160と立入仁▲161<ボルネオ島西方>)
・桃(沈没・福本淳司▲196<マニラ脱出後リンガエン湾西方>)
・岸波(沈没
・谷山正典△<ミンドロ島西方>
・呉竹(沈没)・若命宗雄▲201<高雄発、バシー海峡>)
・旗風(沈没・
若松三郎△<台湾の高雄港内>)
・栂 (沈没・北島克己△<台湾の高雄港外>)

小沢治三郎海軍総隊の時代(20・5・29以降)

南方物資
   内地輸送船団の護衛
  ・時雨(沈没芹野冨雄△<シンガポール近海>)
沖縄海上特攻作戦
 <沈没艦 大和、矢矧<> 
20・4・7 ・浜風(沈没・福士愛彦△)
・磯風(沈没・綿貫 泰△)
・朝霜(沈没)
・霞 (沈没)
・参加 
岩越(涼月・大破)、田口(雪風)
内地で就役直後に    ・梨(沈没・原田盛之▲300<就役訓練中、内海西部平群島>)
・桜(触雷沈没・
金丸 光△ <大阪湾内>)
・橘(着底・上柳 勇△<津軽海峡警備中>)
船団護衛    ・野風(沈没・<パラワン島北西方>)
・天津風(沈没・杉浦幸一△、<経>
白石敬二郎△<汕頭北東方>)
日本海に避退    初霜(沈没・芹野冨雄△<宮津湾で>)
広島に原爆投下
長崎に原爆投下
20・8・6
20・8・9
ルーマン大統領による投下命令発動

 終戦  20・8・15

終戦後
・栗(釜山で掃海中触雷・沈没・神田英夫△)
・神風(御前崎沖で座礁・放棄)

 海軍総隊司令部廃止

 
最後の海軍総隊司令長官・海軍中将小沢治三郎

 連合艦隊解隊 解隊

 20・11・30  陸・海軍省廃止

  
最後の海軍大臣・海軍大将米内光政

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