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第5 航空部隊での戦陣

 71期は600名に大増員となったが、その半分を航空要員に予定してのことであった。即ち、航空に進んだ期友は合計273名で、拝謁終了後入隊した第39期飛行学生、少尉任官で入隊した第40期飛行学生、そして、航空熱望の者が第41期・第42期に進んだ。その状況は次のとおりである。
 
 従来、士官搭乗員の養成は少尉となってからであったが、71期から初めて少尉候補生で開始されたのが第38期であり、昭和18年1月15日、58名が霞ケ浦航空隊に参着した(4名が身体検査にパスしなかった。その内3名が洲ノ埼航空隊に新設された第1期兵器整備学生に転科することになる)。               
 

 1 第39期飛行学生出身者(候補生実務実習終了後候補生の身分で入隊した)
下に進んで下さい
    その1 (外線航空部隊))    その2 (内戦航空部隊)

 2 第40期飛行学生出身者(連合艦隊の各部隊に配属後、海軍少尉に任官絵尾同時の入隊した)

 3 第41、42期飛行学生出身者 (艦隊各部隊で活躍後、航空熱望で入隊した)


第39期 第40期 飛41、42期 小  計
戦闘機 25 (21) 75 (45) 3 (1) 103 (67)名
艦 爆 15 (13) 23 (11) 39 (24)名
艦 攻 3 (2)     3 (2)名
陸 攻 9 (8) 12 (8) 1 22 (11)名
大 艇 1 (1) 2 (2)   3 (3)名
2座水偵 2 (2) 4 (2)   6 (4)名
3座水偵   5名
偵 察 36 (30) 48 (26) 3 (2) 87 (58)名
学生中
 殉職・病死
(1) (4)   5名
総 計 94 (78)名 171 (98)名 8  (3)名 273 (179)名

 いずれの期友も習練終了で部隊に配属になったわけであるが、第39期はマリアナ沖海戦直前に、第40期は台湾沖航空戦直前に初陣、当時は部隊編成の改正が甚だしくて、当人も何も理解のないうちに戦ったという。電報による発令から着任までの間の状況が辞令公報だけではわからないし、最前線にあったものは発令があっても赴任前に戦死、着任前にまた発令等(また筆者の転記誤り)もあろう。誰に聞いても殆ど自分と周辺の期友以外は知らない。艦艇配乗者からすると信じ難いことである。全般編成も定かでない、また記憶も薄らいでいる、というのが実状である。

 なお、編者は戦後防衛庁に在る旧海軍の「辞令公報」を全期期間(約3ヵ年分)に渡り、全期友について調査し、『同期の桜』シリーズの別冊『581名の全航跡(生と死の記録)』(293頁)にまとめクラスから発刊してもらったので、このホームページでの記述はこの記録に準拠てある。なお、殉職・病死者の期別状況は次のとおり。<特別攻撃隊の創設者関幸男大尉を生んだクラスである。

(練習航空隊での錬成・概要)
   霞ヶ浦練習航空隊での基礎過程教育は省略し、実用機課程は次の各航空隊に分かれてされた。
戦闘機操縦専修課程 大分練習航空隊 226名(卒業直前1名殉職)
艦爆・攻操縦専修課程  宇佐練習航空隊  18名
陸攻操縦専修課程 新竹航空空隊(台湾) 9名
水偵操縦専修課程 博多練習航空隊 54名
偵察専修課程 宇佐練習航空隊 36名

 昭和19年1月29日、先輩と共に71期の93名も卒業。なお、卒業直前に松井武彦が殉職、学生中に町田正男と亀井温行が病気のため「引入」し、亀井は42期で卒業することになる。

 (卒業時の戦局について)
  南東方面(ラバウル)で進行中の作戦も完全にいきずまり失敗して終焉、ここに進出の艦隊の航空部隊(所謂ラバウ航
空隊)は消耗し尽くした。そして聯合艦隊主力部隊はこの方面への最大の支援根拠地トラック基地を放棄した。その直後の2月17、8日大挙来襲のスプルーアンス直卒の機動部隊の奇襲を受け壊滅、その機能を喪失することになる。
 
 この時、ラバウル方面から同島に引揚げてきた航空隊は春島北飛行場で疲れを癒しており、その前日搭乗員たちは海を隔てた夏島にあって転勤者の送別のために宴会を行い、そのまま同島にあり敵襲に間に合わず、早朝の第1波でほとんどが地上撃破された。搭乗員も過酷なラバウル方面での戦闘で精神的にも、肉体的にも従来の海軍魂を失っていた。先輩には誠に酷な表現であるが、これが真実であり、航空部隊だけでなく水上部隊についても全く同じことが言える。その責めをここでは論ずるつもりはない。

 (卒業・即初陣)
 39期飛行学生として候補生で霞ヶ浦練習航空隊に入隊した期友たちは、翌18年6月1日少尉に任官、上記のような戦況下で卒業して、その多くは教官として飛41期(兵72期主力)以降の後輩の教育に当ったが、艦隊航空部隊再建中の航空隊に配属され者も多い。その内、再建がなった航空母艦に配乗の航空隊に配属された7名は5月頃から母艦での着発艦作業に入っていたクルーに伍して身命をかけた。
 
 そして、第1線の基地航空部隊に配属された者も共にサイパンの攻防戦の火中に投じられ、3ヵ月後に初陣を飾ることになり殆どが散華した。彼等は共に錬成もままならず、いずれも自身で納得の行く練度に達することもなく、言うならば「仮免許」程度で、その部下もこれに輪をかけた状態で突入させられたのであろう。日本にとっては最後の空母での決戦「マリアナ沖海戦」で「アウトレンジ戦法」のかけ声勇ましく勇躍母艦から発進していったが、「敵を見ず」の繰り返しの電報の発信、漸く帰還した彗星艦爆は夜間着艦が出来ず海上に不時着水させ、収容された。 

 この戦闘に参加した上記の期友達は飛39期学生の中でも特に優秀な飛行技術の持ち主で、選抜されての配乗であったのであろうが、戦局の推移が激しく経験不足のままでの出撃で、敢えて言わせてもらうならば無念であったなとの言葉しかない。今にして思えば戦える状態でなくても戦わされたことになる。士気は高くても技量不足の彼らは怒濤のように押し寄せる米軍の攻勢を阻止する力はなかった。その戦闘状況は悲惨なもので<ああ悲惨、惨の極>という軍歌を思い出し、この記録がその実情を物語っている




1 第39期飛行学生出身者

その1 外戦航空部隊
   (注記)
 @この時期の航空部隊は「外戦航空部隊」と「内戦航空部隊」に分かれていた。
  A学生卒業後の配置欄の記載は、紙面の関係で卒業時と最終時についてのみ記述
 B文中の「▲」印は戦死、「★」印は特攻戦死、「※」印は殉職、「△」印は飛行作業、戦闘中での重傷を夫々示す。
 C「▲」印の後に続く数字は例えば「062」はクラスとして62番目の戦死者(下記の谷川洋一)を示し『同期の桜海兵第七十一期』の頁147のヘッダー(上部余白)に示してあるので、詳細にその戦没状況を知りたい方は本分を読まれたい。
                  
(1) 第3艦隊に配属 (この航空部隊は空母配乗の航空隊で、北海道で練成中で、戦局におおじ出動した)

@ サイパン沖海戦での空母作戦に初陣 
期友名 候補生時 専修 卒業後の戦歴 戦没年月・備 考
谷川洋一
 ▲062
長門 偵察 652空 飛鷹から発進 (天山) 19・6・20 帰還後、乗艦沈没で
荒川
 不可思
 ▲057
伊勢 艦爆 隼鷹から発進 19・6・19 グアムに不時着時、敵機攻撃を受け機上戦死
西 昇士
 ▲053
長門 653空 瑞鳳から発進 帰艦せず・詳細不明
大坪次男
 ▲069
長門
鳥海
艦戦
岩野 正
 ▲055
山城
古沢英一
 ▲056
扶桑
鳥海
志賀素良
 ▲248
扶桑
長門
偵察 千代田から発進 20・3・ 2 攻撃後帰還・串良基地で僚機と接触(後出)

A 台湾沖航空戦に初陣
斉藤史郎
 ▲066
日向
長門
偵察 筑波空 横空(彗星) 19・6・24 硫黄島進出
伊達 尚
 ※312
扶桑
山城
19・7・18 実験中殉職
(同じ日北川正敬も殉職)
山田蒼和
 ▲092
伊勢 553空
(攻252・天山)
19・ 8・ 9 比島進出予定の直前
占守基地からの日施
哨戒中未帰還
多田芳太
 ▲117
扶桑 19・10・14 T攻撃部隊
藤本 勇
 ★156
扶桑
夕張
艦爆 502空
(攻103・彗星)
19・10・29 ニコルス基地から
団野功雄
 ★155
伊勢 553空
(攻102・艦爆)
土屋和夫
 ★157
伊勢
隼鷹
19・11・1 ニコルス基地から
田中栄一
 ▲290
武蔵 偵察 752空
 (戦312)
20・6・10 岩川基地(夜戦)

(2) 第4根拠地隊に配属航空隊(司令部トラック島)(中部太平洋方面艦隊に所属して来敵正面に当たった)
岩嶋貞雄
 ▲213
伊勢
日向
偵察 902空 955空(水偵隊) 20・3・21 ・トラック・パラワン島に移動
・同島に来敵で陸戦移行

(3) 8艦隊配属航空隊 (司令部・ラバウル) (南東方面艦隊に所属し、補給が途絶え、孤立無援の持久戦)
小屋
 敷弘行
日向 偵察 958空 水偵隊・全機損失  
ラバウルで抑留

(4) 第51航空戦隊(北東方面艦隊に所属)(北海道、北千島にて練成、来敵に応じサイパン作戦に、そして鹿児島、台湾を経て比島に進出)

@  硫黄島、サイパン、グアム、テニアンに進出
河口太門
 ※309
日向山城 艦戦 203空
(旧
 厚木空)
265空(ゼロ戦) 19・4・ 1 グアム進出前、新竹基地で殉職、遺骨は鬼塚が鹿屋まで移送
米満尚美
 ▲203
山城扶桑 艦戦 343空(ゼロ戦) 19・6・23 硫黄島・グアム進出重傷の身で出撃
兵頭真男
 ▲084
伊勢竜鳳 偵察 502空 321空(月光) 19・7・30 テニアン島にて来敵時陸戦隊編成・割腹戦死
数野正幸
 ▲093
日向 851空(夜戦) 19・8・31 硫黄島に津曲と進出着陸時に敵機の攻撃による遺骨呉で焼失

A 台湾、比島作戦に進出
松井 康
 ▲305
長門 艦戦 203空

(旧厚木空
221空
 (戦308・ゼロ戦)
19・10・24 マバカットから発進
渡部一郎
 ★186
山城隼鷹 戦304(ゼロ戦) 19・11・26 セブ基地から発進
菊地幸利 長門 筑波空・210空・   戦争末期に発病
目黒佳啓 戦312(入院)   谷田部空
永友知義
 ▲242
721空(戦305) 20・3・18 鹿屋基地で邀撃戦闘

坂室幸雄
 ▲095
扶桑 偵察 502空 153空(偵102)
 (彗星)
19 ・9・10 ダバオ基地から出撃
藤野昌司
 ▲110
日向 762空(攻501) 19・10・12 T攻撃部隊
加来 滋
 ▲114
長門利根 艦爆 141空
 (偵12・2式艦偵)
19・10・13
信田秀夫
 ▲131
武蔵 762空(攻5)
(彗星)
19・10・24
田中 勉
 ▲143
武蔵 762空(攻405)
(銀河)
クラーク基地から
江尻 慎
 ▲191
伊勢 762空(攻405攻)
(銀河)
19・12・6 ダバオ基地から(家族出版「青空の遺書」参照)
鬼塚美雄 扶桑 偵察 131空(攻254)
    (天山)
  鈴鹿基地
佐川 潔
 ▲192
伊勢飛鷹 153空(偵102)
(彗星)
19・12・10 タクロバン基地から
岡 俊夫
 ▲188
武蔵 634空(偵301・瑞雲) 19・12・23 ・オルモック湾で多号輸送団の護衛中被弾不時着 ・陸戦移行自決
・隠蔽した機体が完全なまま米軍に接収される(米軍写真あり)
大岡高志
 ★240
山城 762空(攻262)
(銀河)
20・3・11 ウルシー米基地に特攻攻撃
本田 実
 ★266
扶桑 艦爆 252空(攻3)
 (彗星)
20・4・11 ・空母エンタープライスに突撃成功か?
・下記の「注記」参照

(注・本田実に関する)
  国分基地から特攻、エンタープライズの艦首右弦付近に自爆、衝突により機体の一部(翼端)で同艦の乗員を殺傷したと推定される、77期の菅原菅氏による)

寺本秀也
 ▲265
長門 偵察 豊橋空

701空と改称
706空(攻704・陸攻) 20・4・9 昭南方面から台湾経由・沖縄周辺に出撃
坂本 浄
 ▲272
武蔵利根   801空(攻703) 20・4・189
大幸一喜
 ▲301
伊勢 陸攻 765空(攻702) 20・7・30
倉脇 求 山城 陸攻 801空(偵703)    
田中俊二
 ▲294
山城飛鷹 801空(攻703) 20・7・12 ・鹿屋から作戦帰途
・高知県山中に墜落
福田定男
 ▲288
山城 752空(攻704)銀河) 20・5・27 鹿屋から
深谷 肇
 ▲284
伊勢 偵察 20・5・16 ・サイパン爆撃あり
・沖縄飛行場
浦壁三郎 山城      
和田義炳
 ※308
日向 宮崎空 762空 19・5・28 ・東号作戦のため鹿屋基地
 から発進中の事故
・殉職
中山栄一
 ▲051
扶桑大淀 陸攻 762空 19・6・21 ・本土東方索的中
・宮崎基地から
伊藤正臣
 ▲109
長門五十鈴 762空(攻708) 19・10・12 T攻撃部隊
佐久間
  洋幸
 ★250
長門 721空(攻711) 20・3・21 神雷部隊<南西諸島方面>
沢柳彦士
 ★270
日向 偵察 721空(攻708) 20・4・14
小早川浩
 ▲283
武蔵陸奥 陸攻 801空(偵3) 20・5・13 美保基地から敵機動部隊
         策敵
本多昭夫 山城 偵察 松島空   出水基地に進出

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