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戦陣2年9ヵ月の戦況と期友戦没のまとめ

 (資料)71期戦史『五百八十一名の全航跡(生と死の記録)』
 
17・12・16 海軍少尉候補生(581名)

年月日 行動、戦況・任命等 記事、参考事項 戦死者の員数
18・ 2・1 「ガ」島の守備部隊撤収作戦開始 駆逐艦配乗期友の初陣 『遥かなる回帰の海』参照
18・3月上旬 ラエ輸送作戦
「コ」島輸送作戦
クラス最初の戦死者
 浅田候補生・木村候補生
水上艦艇  2名
18・4・18 聯合艦隊長官山本五十六大将戦死 (前線基地視察中)

18・6・1   海軍少尉(578名)

18・6・8 陸奥爆沈       水上艦艇  4名
18・6・14 キスカ撤退作戦 水上艦艇、潜水艦参戦 潜水艦   2名
18・11月〜
19・1月
   ローカル船団輸送
航空機輸送
水上艦艇  6名
19・1月 ギルバート諸島に来寇
マキン、タラワ玉砕
潜水艦作戦
潜水艦   4名
18・11〜
   7月
ソロモン海域の攻防 コロンバンガル島沖夜戦
ベラ湾夜戦
水上艦艇  8名
潜水艦   1名
19・2月中旬 ・武蔵ほか主力部隊トラック基地放棄
・米機動部隊トラック基地空襲
トラック基地所在部隊全滅
基地機能全滅(再起不能)
ラバウル前線基地孤立化
水上艦艇  4名
潜水艦   2名
この期間中 18・11〜19・1   航空殉職  2名
戦病死   2名

19・3・15   海軍中尉

19・3・31                 古賀聯合艦隊長官殉職
パラオ島から飛行艇にて比島ミンダナオ島ダバオに司令部を移動するため南比島ダバオに避退中、台風に遭遇 行方不明
19・3月
 
 〜4月
  孤島への人員・物資輸送
トラック南方哨戒潜水艦作戦
水上艦艇  1名
潜水艦    4名
陸戦隊
(潜水艦に便乗赴任中)
      2名 
19・5月〜8月 マリアナ沖海戦(日米の空母部隊作戦) 小沢機動部隊の大敗
39期飛学生卒業3ヵ月後に初陣
航空    14名
水上艦艇  4名

兵器整備   2名
サイパン島、グアム島、 テニアン島 南雲中部太平洋方面艦隊玉砕 陸上戦    7名
サイパン島周辺での潜水艦 作戦 サイパンの司令部救出
来敵の邀撃進出中
潜水艦
(内3名が陸戦移行)
      16名
船団護衛作戦
比島、千島方面への補給 水上艦艇  4名
潜水艦   2名
独への連絡潜水艦
      2名
その他   航空殉職  11名
戦病死   2名
19・9月
〜11月
台湾沖航空戦   第40期飛行学生卒業2ヶ月後に初陣
航空    29名
比島沖海戦 小沢部隊本隊
 (囮部隊のエンガノ 岬沖海戦)
栗田本隊(サマール島沖海戦)
・西村支隊
 (スリガオ海峡突入全滅)
志摩部隊(スリガオ海峡突入断念反転脱出)
基地航空隊の反撃(特攻開始)  
水上艦艇  12名
航空    14名
兵器整備(空母配乗)
      1名
潜水艦   2名
レイテ輸送作戦(第7多号作戦まで) 駆逐艦によるレイテ島への増援輸送作戦 水上艦艇  6名
航空   16名
比島以外の作戦     
 
水上艦艇  2名
航空   15名
(内2名護衛空母配乗)
潜水艦  2名
 (回天特攻関係)
この期間中  

航空殉職 12名
戦病死   2名

19・12・ 1   海軍大尉(374名)

19年12月以降 第8、9次多号輸送作戦 駆逐艦によるレイテ島への増援輸送作戦
ルソン島攻防 米軍のルソン島西岸リンガエン上陸 水上艦艇    4名
航空機     10名
潜水艦     2名
マニラ市街戦  
水上艦艇(陸上戦闘)
        4名
航空機     1名
兵器整備(陸上戦闘)
         2名
パトリナオ作戦 比島在島の航空搭乗員、整備員の  航空機の救出
潜水艦、駆逐艦による
水上艦艇    1名
潜水艦     2名
比島以外の作戦  
水上艦艇    1名
航空機     7名
潜水艦     2名
20年3月
〜4月
礼号作戦 在比の残存駆逐艦による敵輸送部隊に殴りこみ戦闘(3回実施)  
硫黄島作戦 潜水艦、航空機による 水上艦艇    3名
潜水艦     5名
航空機      40名
沖縄作戦 航空作戦・潜水艦作戦・陸上戦闘
大和海上特攻作戦
20年5月
から
菊水作戦続行  
水上艦艇    2名
潜水艦     9名
航空機      13名
20・8・6 広島に原爆投下 熊野武雄▲ 家族全滅?(大手町4丁目)
佐伯雅司▲ 父・被爆死(北榎町)
数野正幸▲ 姉・被爆死
20・8・9 長崎に原爆投下 大賀良平・堀町
美田雄次郎・山里町
家族被爆
20・8・15 終戦
20・9・25 期友の自決(クラスとしては戦病死と扱う) ヤップ警備隊          1名
戦後 戦病死認定  
         3名

まとめ ・戦没者      331名(内訳・戦死206名 殉職18名 戦病死4名 戦後戦病死に認定3名)
・終戦時の生存者  250名
・戦後の物故者   120名
・現在の健在者   130名

参考事項
戦前の日米海軍の勢力比較

この体制で戦争を始めてしまった。米国の建艦能力の状況見積がなかたことが敗戦の原因の1つでもある
カッコ内はマリア沖海戦で退廃した後の席数を示す。

国 別 艦 艇(戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦) 飛行機 生産比率
日 本 385隻(182隻・90万トン) 4,772 1
米 国 341隻(734席・318万トン) 12,440機 (250,000機) 5

太平洋戦争・日本軍艦喪失一覧

艦  種 戦前保有 戦中建造 喪失隻数 残存隻数 備  考
大型艦 戦 艦 10隻 2隻 11隻 1隻 長門
キニ環礁の水爆実験で消滅
航空母艦 10隻 15隻 23隻 2隻 行動可能(鳳翔、葛城)
復員輸送に活躍
巡洋艦  38隻 5隻 42隻 1隻 酒匂
ビキニ環礁水爆実験で消滅
その他 9隻 1隻 7隻 3隻 八雲、長鯨
復員輸送に活躍 
駆逐艦 111隻 63隻 134隻 40隻 戦時急増型が主力
復員輸送に活躍)
潜水艦 伊号、呂号型 64隻 118隻 127隻 39隻 ドイツからの潜8隻、除籍 艦隻を含む 
波号型   16隻   16隻 戦争に間に合わず
海竜、蛟竜等         詳細不明
回天         仁科、加賀屋突入
   海防艦         172隻 72隻 100隻 船団護衛の主力となる
復員輸送に活躍
その他の小艦艇  詳細不明  
 
 
 
商船の喪失  15,518隻  
 
 

 
戦闘員非戦闘員の犠牲  320万名といわれている

 海防艦、その他の小艦艇、商船の喪失については、編者の調査が及ばず、人知れず犠牲となったことに哀悼の意を表する。
 なお、輸送船で最前線に赴任中の極めて多くの陸軍将兵が海没したことを忘れてはいない。

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