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中部太平洋孤島への物資輸送
 (イ号第361潜水艦) 重本 剛

海軍大尉 重本 剛

 伊勢 三一潜隊附 9期潜学生 イ26潜 イ364潜
 一九年九月一六日戦死(公報一〇月三一日) 二一オ
 県立岩国中学校(山口)
養父軍一(実叔父。海軍軍人) 養母静江 実兄 70期生
 第八分隊の被服月渡品係

  (戦況)

 米軍の進攻で取り残された離島部隊への潜水艦による物資補給は、地味であって危険の大きい任務であった。 これらの輸送潜水艦は、ミッドウェイ海戟で完敗した以後計画されたもので、当初は敵基地奇襲の陸戦隊を輸送するためのものであったが、戦局の進展に伴い途中から計画が変更され、物資輸送用としてその建造が促進された。一九年五月以降一一月までに一一隻が次々に竣工・就役して訓練に入っている。
 
 これらの潜水艦は、イ号361潜から372潜に至るもので、363潜に工藤淳一、369潜に八十島奎三が乗艦しており、そして後述するように作戦中に次の四期友が行方不明・戦死となっている。
 野元祐二(イ号361潜)、兼松良英(イ号362潜)、 重本 剛(ィ364潜)、石田治正(イ371潜)
 
 これらの輸送潜水艦は、八月下旬から一一月末にかけて、一一隻がナウル島、ウェーキ島、トラック島(矢野良彦、井上忠が在島中)、南鳥島(柳村寛三在島中)、パガンに派遣されて九回成功したが、その後ウェーキ島に向った重本剛中尉が乗艦するイ号364潜と365潜が作戦中行方不明となつた。
 
 大鳥島(ウルシー)の敵泊地に対する航空特攻「丹作戟」のための航空燃料と基地要員を大鳥島に輸送する秘密任務を帯びたイ号364潜は、九月一四日横須賀を出撃していったが、その後連絡を絶ち、予定日になっても目的地に到着しなかった。
 艦長は牧野武男大尉で、重本剛中尉は航海長であった。一〇月三一日同艦の喪失が認められた。
 
 同艦の行方不明で、ウエーキ島を中継とするウルシー泊地の奇襲は、延期せざるを得なくなった。これが実現されたのは二〇年三月であり、梓隊として大岡高志大尉が突入することになる(第九編参照)。
 
 戦後判明した同艦の最期としては、横須賀出港の翌々日、すなわち一六日に犬吠崎の一一〇度約二三〇浬(北緯三四度三〇分、東経一四五度二三分)を水上航走で急いでいたところを米潜シーデビル号に撃沈されていた。