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終戦直後、米海軍から日本の新生海軍設立への働き秘話NHKスペシャルから要約

 このドキュメントのはじめで、アナウンサーは、『海上自衛隊、防衛計画を立案する中枢部海上幕僚監部に半世紀の間密かに受け継がれてきた文書がある。海上自衛隊の前身海上警備隊創設の記録、「旧海軍残務処理機関における軍備再建計画に関する研究資料」全3巻、そして「Y委員会」と呼ばれた秘密委員会の記録(Y委員会決議記録」「Y委員会議事摘録」)全6巻である。

 ドキュメントの主人公元海軍大佐吉田英三は、自らの信念で計画し実現にたどり着いた海上警備隊に入隊、元海将として新生日本海軍を立ち上げたころ、管理人(佐藤清夫)は、この吉田英三護衛船隊群司令から折に触れ、時に応じてこれらの逸話をお聞きした。

 新しい組織について検討を行う委員会、Y 委員会の「Y」とは関係者の間で海軍を現す符号であるとナレーションにあるが、最後の海軍省軍務局長山本善雄少将(終戦の4日後連合軍との会議に日本側の代表として降伏に関する協議に臨んだ)が昭和26年12月海上警備隊設立準備委員会を設立、主催した関係でその山本元少将の「Y」をとったと聞いている。
 続けて、
 @ 海上自衛隊の前身海上警備隊が発足したのは昭和27年、その誕生にいたる過程の全貌はこれまで明らかにされてない。これによると、創設には旧日本海軍軍人が深くかかわっており、新しい組織は海軍の母体であることとしており、軍隊が否定されたせ戦後日本で海軍再建計画が密かに進められていた。平和憲法のもと海上自衛隊はどのように作られたのか、終戦直後から創設まで7年間の記録である。

 A 25代目の石川亨海上幕僚長によると、この創設の記録は歴代幕僚長以外読むことが許されていなかったという。同幕僚長は「私は海上自衛隊というのは入隊したときに海上自衛隊とした発足したという様に考えていたわけですが、この文書に目を通すことによって、やはり海上自衛隊は単なる50年の海上自衛隊ではなくて旧海軍77年の歴史と伝統を基準にその計画に大体従って発足した訳である」と延べている。

 B自衛隊は軍隊ではない、憲法のもと政府はそう説明してき。しかし、この資料には「軍備再建」と明記されている。果たして海上自衛隊はどのような組織として作られたのか。NHKは永い交渉のすえこの記録を手にした。
(平成14年8月14日に放映されたNHKスペシャル「海上自衛隊はこうして生まれた」から要約)

詳細記述のある  「Y委員会の記録」に案内

 終戦直後」、GHQは元陸海軍将校を「公職追放」したが、これを解除した。海上警備隊に入隊した幹部のほぼ全員が旧海軍の出身者であり、戦後日本に誕生した海上防衛力はこのようにして、アメリカ海軍の全面的な協力のもと戦前の日本海軍を継承する組織として誕生した。